暮らし手帖 手づくりのよさ

御福餅

手づくりのよさ

毎年、正月は伊勢の神宮に参拝している。神宮の内宮前の

おかげ横丁では、赤福をはじめいろいろなお店が軒を連ね

て、参拝客を出迎えてくれる訳である。海鮮のかほりや、

伊勢うどんのかほりにつられながら内宮に参拝を終えて、

赤福餅で一服と思いきや、二見ヶ浦まで足を運んで、お福

餅を頂くのである。その理由は、手づくり。店内では、目

の前でおばちゃん達が、一生懸命手でこねて注文が入ると

出来立ての餅をお皿に乗せてくれる。また、手仕事で出来

た、こしあんの波形は夫婦岩にそそぐ豊穣の波の形を表現

しているらしく、荒々しくもありただただ美しい。もちろん

味は天下一品。手造りの良さは心まで詰まってると感じる

ことなのでしょうか。今年一年は今までより、手づくりに

対しての価値とは何か、を踏まえて敏感に生きようと思ふ。

ツィード生地

ツイード生地による張替え

スピードウェルのシートの張替えもまた、手づくり。一台

づつ、新オーナーの気持ちにお応え、一脚ずつ手仕事で仕

上げてゆく訳であるが、手づくりの良さを常に思考しなが

ら、日々、型紙を広げて、ミシンで縫って、生地を張る。

民藝では無名の作家が同じ事を繰り返し作る、洗練され

た仕事を良しとする訳であるが、それに近いものである。

最近は新型車が発表されると内外装のマテリアルを伺って

しまうのは職業病であるが、最近の新車の内装は本当に低

コスト以外に何も言える事がない。トリムはプラスチック

すぎて子供のおもちゃでも、もっと良いあつらえがされて

いるし、シート等はジッパーで着せているだけ。果たして

数百万円するモノがそのような仕上げで良いのだろうか。

現代人はもっとモノに興味を持たなければならないと思う。

本当に良い物に囲まれて暮らす事が出来たなら、人生は、

数倍いや、数十倍充実することだろう。

暮らし手帖 永続的な生き方とは

しめ飾り

お正月のお休みの間に、日本人らしい永続的な社会の在り方

と生き方をテーマにして、民藝の盛んな島根と鳥取に旅に出

ました。行く先々では、今もなほ続く祈りや風習。諸行無常

の中で、守り続けなければならない、日本の呼吸を感じてき

ました。

おせち

お正月とあって、山陰も華やかに。と、だれが山陰となづけ

たのでしょうか。太平洋側は山陽、陰と陽では受ける気が正

反対です。しかし、明治の維新、から大正、昭和、そして、

最後の平成を駆け巡った日本のなかで、いちばん緩やかに、

穏やかに過ごしてきたのが山陰なのかもしれません。先日、

テレビを点けると訪日外国人が一番気に入ったところが、

鳥取県というお話。なんと京都でもなく、東京でもなく、

鳥取の自然と史跡、お寺などがよかったそうだ。特に役行者

が壁にお堂を投げ入れたと言われる投入堂は、命がけで参拝

するという精神が外国人が思う魅力の一つなのであろう。

用の美

用の美という言葉は民藝の父、柳宗悦が唱えた造語。日用に

使用する(うつわ)や家具の機能的な役割に加え、使えば使

うほど味わい深くなるという感覚、いわゆる心の充足を機能

と合わせて用の美になるのだと思います。そして、その心を

満たす隙間があるモノ、心の入る余地のあるモノが大切にし

たくなるものでもあります。永続的な社会を目指すという視

点で考えると、一つの物を長く使用して、極力ゴミを減らす

事が目下の課題であり、大量生産、大量消費される価値の低

いモノつくりは見直さなければなりません。昨今、ようやく

話題になりましたが、海に流れ出たマイクロプラスチックは

環境破壊だけでなく、生き物の生命、人間の生命にも関わる

重大な問題であって、鳥取の錦の海と謳われた米子の中海も

プラスチック汚染でもう手が付けれない状態になってました。

用の美こそ、これからの社会の一翼を担うものではないので

しょうか。

美しい

まったく旧い物が良い物とは限りませんが、写真の中にある

モノ、すべては手仕事によって出来たモノ。(果物は除く)

もちろん土にかえる事が出来ます。コンクリートはそもそも

土ですから。でも、プラスチックは物を作るときにいちばん

安易に造形出来て、安価でモノを造ることが出来ますが、土

になかなか帰りません。あと、プラスチックで出来たモノで

価値のあるモノって、ほとんどないでしょう。

日本刀

正宗か、村正か。人生初、重要刀剣に触れる。

眺めているのは正宗十哲の一人と言われる、石州直綱が南北

朝時代に鍛えた太刀。昨今は刀剣女子といわれる女の子も沢

山いて、小さな日本刀のブーム。 正宗が天下の名刀(芸術品)

なら、村正は天下の業物(実戦刀)と言われるように剛健な

造りで手がしびれます。良い物は長く受け継がれて行きます。

電気スタンド

鳥取の行きつけの骨董屋さんで良いモノ達に囲まれる。眼を

肥やすにはちょうど良いんです。とココで、あこがれた電気

スタンドがありました。民藝運動を実践した吉田璋也デザイ

ン。映画監督の小津安二郎が何度も重要な小道具として用い

た事でも有名です。

吉田しょうやと民藝

この照明は昭和7年製造開始されてますからもう87年も作り

続けられている、いわゆるロングライフデザインと言われる

物。裏側をのぞけば昭和9年製とかかれておりましたので、

迷うことなくこの憧れの照明を購入いたしました。という事

で、新年早々のブログは、わたくしの旅のお話でございまし

たが、スピードウェルの信念、美しい物をより長く愛する、

を今年も実践して参りたいと思いますので、どうぞよろしく

お願い申し上げます。

今日はコレマデ。

本日の名言

この世にどんな美があろうとも、結局「正常の美」が最後の美である

ことを知らねばなりません。

『正常』というと何か平凡なことのように取られるかもしれませんが、

実はこれより深く高い境地はないのであります。

by柳宗悦

今日のフォトジェニック

フォトジェニック

旧き佳く

昨今の茶の間をざわつかせている、児童虐待のニュース。

5歳の子がどれだけ追いつめられてなくなってしまったの

だろうか。わたしには計り知れないわけであるが、毎日が

胸が押しつぶされそうで、いろいろと考えてみた訳である。

そもそも、虐待をした親『人間』が悪いのは当然であるが、

そういう人間を生んだ、今の日本社会が根本的に悪いので

あると思う。児童相談所の対応が悪かっただと、矛先は行

政にむけられているが、行政を責めても虐待をする人間は

減らない訳であるから、根本的な解決には至らない。やは

り、ここは、あらためてそういった人間が育たないように

、教育が重要であると思う。それと同時に、もう一つ考え

られることは、便利やゆたか、といったキーワードである。

便利さ故に、ゆたかさ故に、人と人のつながりが希薄にな

っているのには間違いはなく、犯罪も生まれやすい。たと

えば、貧しければ必然的に大家族で生活をせざるを得ない

わけで、孤立することはほとんどない。不便だからこそ、

人の手を借りて、そこでコミュニケーションが取れてしま

う訳である。今あるゆたかさは、物質的であって、本当に

必要なのは、心のゆたかさなのである。世界一幸せな国、

ブータン王国では、すでに幸せという単語さえないという

のだから、驚きであるが、これからは日本は物質的な豊で

なく、心の豊かさを目指して歩まなくてはならないだろう。

新年の御挨拶

橿原の宮 神武天皇

新年の御挨拶

謹賀新年

皆様おすこやかに新春をお迎えのことと存じます。本年も相変

わらず、よろしくお願いいたします。皆様のご健康とご多幸を

お祈り申し上げます。という事で、平成30年が始まりましたが

カムヤマトイワレヒコが、奈良の橿原の宮で天皇に即位して以

来、日本という国が始まって2678年目となる訳であります。

世界的にみても最古となる国が日本であり、わたし達はその子

孫であるという事を内に秘め、日本という国が益々繁栄致しま

す様に、努力致します。そして、今年も味わいのあるクルマ作

りに全力を尽くしますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

追伸 スピードウェルは1月9日より平常運転致します!

本日の名言

「竹に節がなければズンベラボーで、とりとめがなくて風雪に
耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはりフシ
がいるのである。同様に、流れる歳月にもやはりフシがいる。
ともすれば、とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せ
めて年に一回はフシを作って、身辺を整理し、長い人生に耐え
る力を養いたい。そういう意味では、お正月は意義深くて、お
めでたくて、心もあらたまる」

松下幸之助

金沢21世紀美術館『工芸とデザインの境目』展

21世紀美術館 工芸とデザインの境目

ラシーンデザイナー 平林俊一氏

工芸とデザインの境目展

今回は、ラシーンデザイナー平林俊一氏と共に金沢21世紀

美術館で開催されている『工芸とデザインの境目』展のお

話である。工芸とデザインは何が違うのか?という疑問を

投げかけた今回の展覧会は、プロダクトデザイナーの深澤

直人氏による企画。深澤氏といえば、現在日本民藝館5代目

の館長でもあり、民藝、工藝、デザインの立ち位置をバラ

ンス良く伝えてくれそうだ。果たして工芸とデザインに境

目はあるのか。という疑問から始まる展覧会は、その境目

あえてを見出すことによって、工芸的、よりデザイン的、

はたまた、これは工芸でもありデザインでもあるという風

な視点でモノを見ることが可能となる。沢山の若者

沢山の若者で混雑する。

工芸やデザインに対する展示会で平日にもかかわらず満員

御礼の様子。

左 工芸 右 デザイン

左によるほど工芸 右に行くほどデザインという展示

工芸は作者とつくり手が同じ人物である。もちろん分業の

場合もあるがそれは作者が一つのものに複数存在すること、

という内容から始まるが、これに対しデザインは作者とつ

くり手は異なる。そしてつくり手は人ではなく機械である

場合も少なくは無い。これは工業製品といい、工業製品に

はデザイナーとモノの間にさらに設計者がいる。というお

話から始まるが、前置きに今回の展覧会では手づくりのも

のを工芸とし、量産できる工業製品をデザインとして分け

ようとしは訳ではない。手づくりと言っても工具や機械を

使う事もある、工業製品と言っても手の作業が発生するこ

ともある。しかし、しかし、手でつくるものと機械で生産

するものがそれぞれ工芸的であり、デザイン的であるとい

う解釈は間違えてもいない。まさに、ココに核心があるか

もしれないと、これはわたしの意見である。

工芸的でデザイン的

工芸的でデザイン的

パオやラシーンがどこの位置に存在するのか、という発想

が出来る事がすでに、工芸的であったりデザイン的である

という、発想の対象物となる訳であるが、これが昨今の車

のどれほどが対象物となろうか。話はまだまだつづく。

Kurashiの手帖

建国記念日

建国記念日

2月11日は建国記念日である。

紀元前660年前の2月11日から始まり、現在に至るまで

連綿と営まれた日本という国は、世界で一番古く、

そして世界をリードするほどの大国となった。

それもこれも、皆生けるご先祖様たちが一生懸命時代を繋い

でくれたからであり、この歴史は、常に最善が尽くさてきた

訳であって、それが歴史にifは無いと言われる所以である。

そこで、生テレビ系に出演している政治家が、もしあの時

日本がほにゃららなど言い出したなら、そんな幼稚な政治家

は辞めてもらった方が良い、とまあ辛口ではあるが。

話はもどり、2月11日は神代から人代に移りかわる決定的な

日本の紀元であって、その誕生の地は奈良橿原の宮である事

は皆々ご存じであろうか。実に戦後のGHQな教育のおかげで

知る人ぞ少ないのは、とても残念なことではあるが

私達は日本人であるのだから、そろそろ真の意味でGHQから

解放され、日本民族の誇りを取り戻さなければならない。

なんぞ、言うだけで右翼だ!!

玄関に祝日に国旗を揚げるだけで右翼だ!!

みたいな残念な思想がGHQが占領の本当の意味でなのある。

僕たち、私たちは日本に生まれたから日本人なのではない。

しっかりと日本という国の歴史を知り、国風を体で感じて

その延長線上で豊かで美しい社会を形成していかなければ

真の日本人になったとは言えないのではなかろうか。

民藝かデザインか。

工藝か。デザインか。

先日、長野県松本市にラシーンの納車に伺った。久しく松本

に来たのだから、松本と言えば今は工藝、民藝の集まる町と

話題であり、お洒落なうつわを物色しに少し立ち寄った。

多数のセレクトショップや、陶芸を間近でしている店もあり

うつわ好きにはたまらない、そんな風景が中町にあった。

うつわにもいろんな表情があるが、どれも鳥取民藝運動後の

河井寛次郎先生やバーナード・リーチ氏、浜田庄司先生らの

定番のカタチが多く、一通り所有しているので一ひねり考え

ながら歩いていると、ひとつ八多良に心をくすぐるカップが

目の前に現れ驚愕した。その粉引のカップは、それは見事に

使いづらいカタチをしていたのである。

これは民藝か、工藝か、はたまたデザインかと問われれば

間違いなくデザインであるだろう。日常使いには難しそうな

印象であるが休日に遊び心を込めて使うと、とても心が豊か

になるように思えて仕方がない。

そのポイントは『使い辛い』『非日常』であって、

これを楽しいと感じれる教養のある人間のみ使う事が許され

る、そんな威風たる風貌が魅力的である。

先日、日曜美術館で15代楽吉左衛門氏の楽焼が放送されたが

どう茶筅を回せばよいのか、どこに口をつけて良いのか解ら

ない難解な茶碗で、皆楽しんでいたのを観てヤッタと思った。

民藝、工藝、デザイン、アートのどれも人が心で感じる事が

出来るからこそ楽しめるわけであって、感じれる豊かな心が

ある、もしくはありたいと願うからこそ、

人はさらに豊かな心を育む事が出来るのだろう。

パオやラシーンというクルマも実にそうであって、

心を豊かにしたい、そう思う人のみぞ選ばれしクルマ

であると、わたしは思う。

知的な旅―伝統芸術の巻

雅楽

はたして、われわれは日本という国に生まれ育ち、おおよそ日本という国が

どういう起源で、どのようにして文明を育んで来たのか、端的にでも答えれる

人が、どれだけいるのだろうか。

パオやラシーンに乗って、日本中を旅をして日本は素敵な国だと感じた方は

多いはずであるが、もっともっと日本を知りたい方もいるはず。

時を重ね歴史となり、新たな時代に文化が開きいにしえより移り変わった

もの、こと、はたくさんあるが、時空を超えて神代より続く日本の

動かないモノの一つに伝統音楽がある。

聖徳太子の時代に遣隋使によってもたらされた大陸の音楽と、

日本の神代よりつたわる国風のうたまひなどと融合し、平安時代に

大成された、これぞ『雅楽』である。

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昨今では宮中はもとより、神社やお寺などで演奏される雅楽。

明治のご維新までは、宮廷音楽であり天皇家をはじめお公家や楽家などで1500年

もの間、たゆまず伝承されてきた。

雅楽にはいろいろな楽器が存在するが、笙(天から差し込む光)、

篳篥(地にはう人の声)、龍笛(天と地を行きかう空間)という三管が

音で宇宙を形成しており、自然に対する概念が楽声に宿っている。

最近では、癒しの音として人気があり、これも大自然の霊力である。

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若葉会は、大阪楽所(おおさかがくそ)の新人研修から会員になりたてが

舞台にあがる、初々しいステージである。

夏には宮内庁式部職学部の先生方に合宿していただき、その成果を見せる事が

出来るかいなかは、お楽しみ。

当日は入場無料であるから、日本の文化を感じたい方は是非ご来場ください。

『こだわり』は人生を豊かにするルール

ポルシェボクスターS 板金風景

『ポルシェボクスターS 板金風景 オリジナル塗装を大切にするコダワリ』

こだわりこそ、自分を進化させるエネルギーかもしれない。

これはENGINEの編集長、村上氏の言葉である。

そのエネルギーが人を輝かせ、その人生を豊かにしてくれる訳である。

わたしが思うに、こだわりのある人の話はたいてい面白い。

また、こだわりのある人が、こだわりの無い人に話をすると、

そのすべてを真っ向から全否定するのであるから、難儀である。

こだわりの無い人のとは、こだわる才能が無い人なのだ。

しかし、なんでもこだわっていれば良いという訳でもなく、

ココはセンスが必要で、美しい物や事にこだわるのには

絶対に間違いはない。

そして、大人な趣味にこだわるのが、大人の時間の使い方である。

謹んで初春のお慶びを申し上げます

伊勢の神宮 おかげ横丁
伊勢の神宮 おかげ横丁より

謹賀新年

皆様、あけましておめでとうございます。

平成28年はすでに始まりましたが、松の内までは正月気分を

味わっていたいものです。

この松の内(門松がある小正月までの期間ですが)

関東では1月7日、関西では1月15日までと期日が

異なっているのも、裏には歴史があって面白い物です。

それでは、今年はより一層皆様にお喜びいただけます様に

精進致しますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。