京都府京都市のH様 パオトラディショナル納車おめでとうございます

伏見稲荷大社

千本鳥居

稲荷神降臨1300年の謎

およそ遡る事1300年。和銅4年2月、壬午の日に京都の伏見

に降臨した稲荷神。今では五穀豊穣、商売繁盛の神様とし

て全国にお祀りされている。愛知では豊川稲荷、茨城では

笠間稲荷とその他日本三大稲荷と称される社寺はあるが、

創建にあたりとりわけ伏見稲荷は渡来人である秦氏が関与

しているのである。秦氏とはシルクロードを渡り朝鮮半島

から日本に渡来した民族であるが、おおよそ古墳時代には

12万人ほどが海を渡り日本へ渡来した。その後、聖徳太子

の時代には秦河勝らも渡来し、太子の側近で力を尽くした

訳である。この稲荷神は伏見のウカノミタマ系と豊川の吒

枳尼天(ダキニテン)系がある。ダキニテンとはインドの

古代民間信仰に由来する仏教の女神であり、こちらも外来

の神が日本でも神となった訳であって、日本の八百万の神

とは外来をも含み、一神教では考えれない、超絶平和な信

仰なのだ。と話は逸れたが、秦氏はシルクロードの中央あ

たり、弓月国に住んでいたのは間違いは無く、そこにヤマ

トゥという小さな村が存在する。ヤマトゥは、当時の秦氏

が、そこに住んでいた時に、自身を呼んでいた呼称であろ

う。中国人たちは「弓月」と言ったが、彼らは「ヤマトゥ」

と呼んでいた。Japanと日本のようなものである。それに

「ヤマトゥ」とは、ヘブル・アラム語で、「ヤー・ウマトゥ」

であり、「ヤハウェの民」の意味でもある。話は続くき

 秦氏が日本にやってきたのは4世紀頃の応神天皇の時代

であったと考えられている。ここでわたしがふと思ったの

だが、この応神天皇の古墳から急に大きくなり、体積では

全国一の大きさであるということから、古墳の製作にも秦

氏は関与していると踏んでいる。日本でもちょうどその頃、

大和時代が始まり、「大和、山門、倭(やまと)」と呼ぶ

時代となったのは、偶然ではあるまい。秦氏が自らの故郷

を偲ぶ名前を、日本に付けたのであろう。とは、世界のな

かのわたしというネットからの引用である。久しぶりに

ブログをかくとシドロモドロの文面になってしまったが、

日本の古代はとてもミステリアスであり、パオやラシーン

に乗ってこの時空を旅するのもいとおなしなものである。

PAOトラディショナル 京都

PAOと記念撮影

この度は、京都府京都市にお住いのH様の元へお届けに

上がりましたPAOトラディショナルをご覧頂きたい。ア

クアグレイの車体をベースにH様の思いのカラーに仕立て

たトラディショナル。内装のカラーのオッシャーでとても

クールな一台となった。

PAOトラディショナル

PAOトラディショナル妻姿見

PAO フロントグリル

バンパーやグリルのペイント

パオ 純正ステアリング

PAO純正ステアリング

ダッシュパネル アンダートレイ

ダッシュパネル&アンダートレイの張替え

パオ レザーシーツ張替え

wells レザーシート張替え

パオトラディショナル 平姿見

PAOトラディショナル 平姿見

H様、この度はPAOトラディショナル納車誠におめでとうご

ざいました。すでにこのようなコンディションの良いPAOは

少なく、より長くお乗り頂ければ幸いです。

今日はコレマデ。

本日の名言

過去から学び、

今日のために生き、

未来に対して希望をもつ。

大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。

byアインシュタイン

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