デザイナー平林俊一氏とはじまりの国に旅立つ

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旅立ち

日産ラシーン発売当初のキャッチコピーは「僕たちのどこでもドア」だった。

これを知っている人も年々少なくって来ていることだろう。

車高がちょっと高くてタイヤもちょっと大きく4WD=ラクにどこにでも行ける。

つまりラシーンなら「どこにでも行ける」ということなのだ。


参考

さらに詳しくはウェルマガジンで紹介しているのでぜひとも読破していただきたい。

http://www.speed-well.jp/contents/wellmagazine/wm006/

そんな「僕たちの、どこでもドア」ラシーンに乗って旅をするのは必然であり

今回はラシーンデザイナーである平林俊一氏とあたしが「はじまりの国(島根県)」に旅立った。

※はじまりの国の云われは島根県は日本神話の中心舞台であるから。
そんな島根県は女性に人気のパワースポットの宝庫でもある。

そして僕達、あたし達の故郷である日本の魅力をラシーンやパイクカーとの旅を通して

再発見する企画が『ビューティフルジャパン』だ。

今回はビューティフルジャパンのはじまりでもあり、はじまりの国よりスタートするが

今後は日本各地の魅力的な場所や食・建築などをどんどん紹介していく予定である。

目的地までの楽しいルートやスポットガイド、現地の豆知識などもご紹介し

トラベル会社の企画より内容の濃い旅の情報をおとどけするから

皆様の愛車でのお旅のバイブルとなれば非常にうれしく思う。

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国譲り

国譲り神話の舞台、稲佐の浜(いなさのはま)。

あたしはその言葉だけで浪漫を感じる。

天上の神々が、『地上を統治するべきなのは天上の神』であるとし、

天上の神(アマテラス)が地上の神(オオクニヌシ)に地上を譲りなさいと迫り

会議が行われたのがこの地、稲佐の浜である。

オオクニヌシは子、コトシロヌシとタケミナカタが納得すればアマテラスに

争わずして国を譲ろうとし、さらにこの地に天上に届く大きな宮殿を建てるコトと約束する。

そして国を譲る事となり引き換えに建てられた宮殿が、出雲大社(いずもおおやしろ)であり

659年(斉明天皇5年) – 出雲国造に命じて大社を造営(『日本書紀』)

という文献が今も残っている事から疑う余地はなく、

創建当初の高さはなんと48mや96mという資料まであるのだから実に驚きである。

世に『雲太、和二、京三』と謳われる。

※一番は出雲大社、二番目は東大寺の大仏殿、三番目は京都の大極殿の高さの順を言う。

当時の技術レベルを超えて製作されていたのか、何度も倒壊し、

そして何度も建て直すのだから当時から日本人は世界一と言える偉業を

成し遂げていたのだなと、そこであたしはとても感心するわけだ。

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神在祭とぜんざい

出雲では10月になると全国の神様が集まると聞く。

10月は神無月(かんなづき)というのは一般であるが

出雲では全国の神様が集まるコトから神在月(かみありづき)と書き

神迎えの神事、神在祭が執り行われる。

そして神在祭のとき、「神在餅(じんざいもち)」を振舞うのである。

その「じんざい」が出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、

さらには「ぜんざい」となって京都に伝わった。

ぜんざい発祥の地は出雲なのである。

旅のいっぷくはご当地のスイーツがとてもよろしかろう。

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パワースポット

縁結びのパワースポットでは若い女性がひっきりなしに参拝する。

あれよあれよと10分ほどで20名から30名ぐらいは訪れただろうか

本当にあたしはおどろいた。

そして、あたしの気持ちもすっきりしたから、なにやらパワーが

そこには存在するのであろう。

それでは、この模様は第一回ビューティフルジャパン(11月オープン予定)

で詳しくご覧頂く事に致そう。

今日はコレまで。

本日の名言

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに

八重垣つくる その八重垣を

by素戔嗚(スサノオ)

オオクニヌシの父、スサノオが日本の最初に和歌を詠んだと

言い伝えられている。 

俗に日本最古の和歌と讃えられている訳だ。

『雲が何重にも立ちのぼり、雲が湧き出るという名の出雲の国に、

八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼる。

妻を籠らすために、私は宮殿に何重もの垣を作ったけど、

ちょうどその八重垣を巡らしたようになあ。』

これは新婚生活の愛のある詩であります。

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