五十三次の中力うどん
うどんといえは、香川県である。しかし今回は香川のソウルフードのお話ではない。食通でないためあまり食レポはしないわけであるが、今回は岡山県の久米郡という所に納車を行う途中の世間話である。岡山の陸運局からお客様の元へお届けに上がるにはルート53号という国道を南から北へ進み津山方面へ向かう必要がある。このルート53号、山間を潜り抜け、この時期は紅葉も相まって美しい景色を眺める事が出来るのであるが、走る事、毎度道路案内標識にはなぜか五十三次と書かれている。五十三次で思い起こされるのは東海道であり、それは53の宿場町があるからであって、今回のルート53号はそのような宿場町がたくさんあるわけではない。また、東海道が延長された訳でもない。ただ国道53号と五十三次を重ねただけである。うぅぅぅとそのような事をむにゃむにゃ考えていたら、突然五十三次沿いに掘立小屋のうどん屋が見えてきたのである。古びた看板には中力うどんと大きくかすれた字で書いてあって、其のいにしえから営業をしているという真実は本物である(というわたしの偏った考えは強ち間違いでは無い)。そして、これぞと思い立ち寄ったのである。山間部に掘立風の店構えとは、それだけでもなかなかの風情であるが、店内の座敷にある傾いたテレビにも電源が入らず、それはそれで良い。わたしは勝手が解らずあたふたしていると、NHKの新日本風土記にでも出てくる優しそうなおばあさんが先に麺の量を尋ねてくれて、さっと湯に通してくれるのである。次に揚げられた天ぷらを選ぶ。おばあさんのいとさんであろうか、レジでこれまた優しくお勘定をしてくれる。そして着座し合掌して頂くのである。期待の味は言うまでもなく絶品であり、さらに写真のこれが500円程とあって、ふところにも優しくなんとも風情のあるうどん屋さん、というお話であった。ちなみに四方山ではあるが、京や大坂ではうどんには、おを付けて、『おうどん』とそう呼ぶ。
パオトラディショナル 左舷前方姿見
今回は岡山県久米郡にお住いのY様の元へお届けにあがりました、PAOトラディショナルをご覧頂きます。久方ぶりにテラコッタカラーのパオを製作。ボディーカラーは当時の色を再現しオールペイント。もちろん、外装はガラスも含めてすべてを取り外し、ホワイトボディからの塗装である。リヤのアンダーパネルなどはビス一つからすべてを交換し、シルバーのヒンジ類もリペアを行った。外から見れば新車の様とオーナー様から誉めて頂きました。
パオの内装の様子
ナルディウッドハンドルの古物(コモノ)を装着した車室内。シートにあわせてアンダートレイもアイボリー色に。
ファブリック生地での張替え
コットン生地を織ったようなファブリック生地を使用して古典的なステッチングで張替えがおこなわれたパオの内装。夏は涼しく、冬は暖かい。
バンパーやグリルは塗装色が選べる
これまた純正色で復元がおこなわれたフロントフェース。SWでは、販売車両のすべてにバンパーやグリルの塗装カラーが選べる。我こそはと思う方は、その思いを伝えてほしい。
パオの風景
西欧風の景色にパオは良く馴染む。パオの被写体力、これぞ名車の所以である。
この度はY様、PAOトラディショナル納車おめでとうございます。ボディーは全面塗装仕上げを行いましたので、美しく楽しくお乗り頂ければ幸いです。また、まつ毛の装着を忘れてしまい、3カ月点検の際には装着を差し上げたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
今日はコレマデ~。
本日の有名人
卵かけご飯の祖
岸田吟香(きしだぎんこう)
日本で卵かけご飯が広まるきっかけは、1927年の雑誌に、美咲町出身の岸田吟香が『温飯を盛らせて鶏卵3、4個を割り、焼き塩とトウガラシを振りかけて食べた』とのエピソードがあったからと言われている。