日産RASHEEN エクステリアデザイナー 平林俊一氏のハンドルの巻!

どんもす~。ウェルです。
さて、皆様本日はラシーンデザイナーの平林俊一氏のハンドル
と言う事で、お話が始まる。
実は本日極秘で平林俊一氏がスピードウェル社へ来場。
平林俊一氏の車両
日産ラシーン タイプⅡ サンルーフ 『平林俊一氏 蔵』 
今回は平林氏のラシーンのメンテナンスを行うと共に、
ついでにハンドルの交換を行ったのだが、
このハンドルが素晴らしいモノであったからご覧頂く。
平林俊一氏の車両
なんとハンドルは握り手場がはがれている。
おお~やっぱり凄い。こうして発売から15年以上もの時間を
感じさせると共にココまで乗り続けられているコトに
ただただ脱帽である。
平林氏が曰く『走行距離は17万キロ以上と走っている。』
本当にラシーン乗り達はこの姿に勇気づけられるコトであろう。
平林俊一氏の車両
ココまでくれば素晴らしいがハンドルとしてはお役ごめんとなる。
ということで、スピードウェル社に綺麗な純正ハンドルがあると言う事で
取替えが行われた。
というのが、本日のお話であるが、ココからはいつもながらの
HOW TOをご覧頂こう。
まず、ラシーンには前期、後期モデルともハンドルにエアバックが
装着されている。
このエアバックを取外さないとハンドルを交換することは不可能である。
前期型純正ハンドル
平林俊一氏に御献上。
ラシーンのハンドルは前期型と後期型で若干ながらの
デザインが変更されている。
また、この頃の日産のクルマにはほぼ同じハンドルが
取り付けられており、ラシーンだけでなく
日産車が全体的に変更がされているといったほうが良いだろう。
平林俊一氏の車両
まずエアバックを取外す訳だが、左右にフタが付いている。
このフタを外してあげれば、取り外しのボルトが見えるのである。
特殊工具
特殊な工具。スタートルクスレンチ。トルクスレンチの中央部は穴あき。
この工具が必要としている整備箇所は一般的にはエアバック以外には無い。
というくらい特殊な工具と呼んで良いだろう。
中央部は穴が開いているゆえ、穴無しもあるという所に注意が必要だ。
平林俊一氏の車両
ハンドル下面のカバーを外せばエアバックの配線が見える。
この配線を抜くわけだが、バッテリーのマイナス端子は
できれば外しておいて頂きたい。
万が一の誤作動でエアバックが開くおそれがあるからだ。
平林俊一氏の車両
エアバック装置を取外せば、中央部の19mmのナットを外す。
そうすればハンドルは車両から取外すことに成功するだろう。
平林俊一氏の車両
ハンドルを取外せば車両側にエアバックの配線が残る。
ココで注意だが、この中央部の配線は
ぐるぐる廻る。
中はゼンマイ仕掛け
実はこの装置のなかは配線がゼンマイのように封入されており、
ハンドルを右に切っても左に切っても配線が絡まないようにしてあるのだ。
ということからこれをくるくるいじって元の状態からずれてしまうと
ハンドルをいっぱいに切ったら配線が切れる、という
まずいお話にもなりかねない。
と言う事で、本日はラシーンのハンドルの交換をご覧頂き候。
ココからは番外編。
平林俊一氏とミニカエル氏
右が平林俊一氏と奥様の真友未氏。左がミニカエル氏である。
ラシーン新車購入時から乗られているミニカエル氏と平林夫妻のショットである
ラシーンオーナーの熱い話に耳を傾けられているひと時。
ミニカエル氏の車両のカスタマイズとデザインの話題が続いた。

その後にせっかく羽曳野までお越し頂いたと言う事で、
プチ観光として誉田八幡宮に参拝。
誉田八幡宮は第29代欽明天皇の命で応神陵の前に設けられた
日本最古といわれる八幡宮。永承6年(1051年)、第70代後冷泉天皇の命で
現在地に移され、鎌倉時代以降は将軍家をはじめ、武士の信仰を集めた。
現在の本殿、拝殿は、慶長11年(1606年)豊臣氏によって再建されたもの
であるが、再建中に大阪夏の陣が勃発。
その後、豊臣から徳川へ政権が移ったあとに仕上げがほどこされたことにより
屋根瓦や飾り文は徳川の葵紋が備えられた。
と、まあこんなところだ。
ここで豆知識だが、八幡宮といわれる神社の主祭神は
第15天皇にあたる応神天皇である。
この誉田八幡宮はこの応神天皇の(御陵)の前にあるのだ。

ミニカエル氏はサインをもらい、うらやましい限りだ。
と言う事で、平林様この度は誠に有難う御座いました。
また、11月中に何かが起こる!?と題して何かが起こるゆえ
ラシーン乗りの方々は是非とも楽しみにして頂きたい。
今日はコレまで~。
本日の名言
新しいことをやれば
必ず、しくじる、腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を削って
何度も何度もやる。

by本田宗一郎
今の私達にたらない何かがココにはあります。
日本人の素晴らしい何かがココにあると思います。