秦王国にラシーン
魏志倭人伝という書物をご存じだろうか。そう卑弥呼が
登場する魏書の倭人の条部分の事である。未だ邪馬䑓国
はどこにあったのかという論争は尽きない訳であるが、
秦王国という国名が出てくるのは隋書である。隋書には
日本には秦王国が存在するという記述があるが、その根
拠は京都にも存在する。京都には太秦、ウズマサという
映画村あたりの地名であるが、広隆寺という秦氏が創建
したお寺が存在し、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつ
はんかしゆいぞう)という国宝の仏像第一号が安置され
ているのである。秦氏の起源をさかのぼると、シルクロ
ードにある弓月という所に城まで存在したわけであって、
さらにさかのぼると、ペルシャであろうとも言われてい
る。日本では第十五代天皇であるホムタワケ(応神天皇)
の頃、120県の人(12万人)が朝鮮半島から渡来し
てきたというのである。それほどの民族大移動が行われ
た事を知っている人は博学に認定。また、前方後円墳が
超巨大化したのが応神天皇であり、もはやこれは秦氏の
大陸の土木技術を生かしたとしか言いようが無いわけで
ある。その後応神天皇は八幡神としてあがめられ、全国
の八幡宮で主祭神としてお祀りされているが、八幡これ
はヤハタとも読む。ペルシャ人が使用する言葉ヘブライ
語で記述すると、Yah(ヤー)は神の意味。やはり、八
幡はヤー秦、ヤーハタが言語ではなかろうか。秦氏を
12万人を渡来させた応神天皇なら秦の神とあがめられ
ても、何ら疑問ではないだろう。京都の伏見稲荷大社も
松尾大社も、秦氏が創建しているし、春日大社は渡来系
の藤原氏が創建しているし、八幡の総本宮、宇佐八幡宮
や石清水八幡宮それらは、秦氏や藤原(中臣)という渡
来系との関わりが強い神社はすべてが朱塗りなのは七不
思議の一つでもある。と言う事で、この話はこれ以上行
くと長くなるので、今日はコレで堪忍。
ラシーンと記念撮影
この度は、京都府京都市にお住いのI様の元へお届けにあ
がりました、ラシーントラベラーをご覧頂きたい。サンド
ベージュよりほんの少し濃い目に調色を行って全塗装がお
こなわれたボディー、ブラックペイントもあわせて現代の
風が吹く。
ナルディウッドハンドルとウッドパネル
ラシーンはなぜウッドハンドルが良く似合うのであろう
か。それは、三連風メーターや丸や四角で構成されたプ
リミティブな形状のおかげである。
ウェル50デザイン レザーシートの張替え
高品位なレザーを使用して張替えが行われた内装。特に
ブラウンやベージュ、キャメル色はとりわけ人気。座り
心地、触り心地も良くさらに耐久性も抜群である。
ラシーン後方正面姿見
ラシーントラベラー 右舷前方姿見
この度はI様、ラシーントラベラー納車誠におめでとう
御座ました。足回りも含めて長くお乗り頂けます様、
整備に努力致しました。エンジンの調子も良くしま
したので、これから先10万、20万キロとお乗り
いただければ幸いです。
今日はコレマデ。
本日の名言
奪い合えばたらぬ
わけ合えばあまる
byみつを