カゴ
ラシーンと記念撮影
この度は、静岡県静岡市にお住いのS様の元へお届けに
あがりましたラシーントラベラーをご覧頂きたい。すで
にキャンプルックと化した仕様でのお申込みを頂き、各
部の塗装や仕上げにこだわって製作が進められた。
ラシーントラベラー 右舷前方姿見
バンパーやグリル、ホイール、ルーフレールなどなど
その多数にクロムト化を行い、そもそもこれは傷が着い
ても気にならない仕様と言えば良いだろうか。しかし、
これはあくまでルックであるから気分なのである。
新しいゼブラノのウッドパネル
ナルディウッドハンドルのカラーに合わせ、調達された
ゼブラノタイプのウッドパネル。
ウェル60design ラシーンシート張替え
ラクダ色のシートにパイピングがブルーグレイとお洒落
さん。特別なレザーのマテリアルも相まってCOOLである。
ラシーン フロントフェース
グリルを全体的にブラックにペイントするという事が、
あまりに黒の面積が多くなるため後期モデルのグリル
中央をブラックにペイントし、さらにヘッドライトの
リムをブラックにペイントしてバランスを整えた。
ヘッドライトリムのクロムト化
そこで、リムは艶有りにしてブラックペイントを施すと
いうこだわりをみせている。
この度はS様、ラシーントラベラー納車誠におめでとうご
ざいました。早速キャンプに使用されるという事で、お楽
しみ頂ければ幸いです。それでは、末永くお幸せに!!
ラシーンと駿府城
大阪夏の陣の合戦の後、家康はこの駿府城で余生を過ご
す事となる訳であるが、なんと京で流行っていた天ぷら
にあたり駿府城で死する事となる。と言うのは一般的な
お話である。それは、夏の陣の合戦から6か月後とうい
う事で、大阪では夏の陣の合戦時に家康めがけて真田幸
村が突撃し、家康の馬印まで倒れてしまうという事態に
陥り、いったん家康は堺まで退くという話がある。これ
は史実に近いお話であるが、実は堺に家康を祀るお寺が
あるのである。そして、合戦後に二代将軍秀忠、三代将
軍家光もお参りに来たのだという。これはもしかすると、
実は家康は夏の陣の幸村急襲時に落命し、影武者がその
後の指揮を執っていた。そして、影武者もまた、天ぷら
で毒殺された、という説は如何であろうか。という四方
山話である。
今日はコレマデ。
本日の名言
いくら考えても、
どうにもならぬときは、
四つ辻へ立って、
杖の倒れたほうへ歩む。
by徳川家康